「普通にうまい」という言葉は、「一般的」「無難」という意味ではありません。若者ことばが理解できない人向けに翻訳すると

2018年の3月頃、経済アナリストの森永卓郎さんが「若者にご馳走をしてあげた時に『普通においしい』と言われるとイラッとくる」と熱弁している記事を目にしました。



今の50歳以上の方は、「普通に〇〇」という言い回しに疑問を感じているようです。

また、2018年9月に発生した北海道地震の影響で亡くなった方に関するYahoo!ニュースの記事に対してのコメントに「普通にかわいそうだと思う」と書き込んでいる人がいて、多くの方から突っ込まれていました。

「人が亡くなっているのだから普通はないだろ」と。


確かにそれはおかしいですよね。

私も同感です。



しかし最近、私も使ってしまったんです。

普通においしい」という言葉を。


それは新作のアイスを友達と一緒に初めて食べた時でした。

しかも、友達と声を合わせて言ってしまったのです。



そこで私は、実はこの「普通においしい」という言葉には深い意味があることに気がつきました。


そして今回は、「普通に」を常用する人間の代表として、わかりやすくかみ砕いてみることにしました。


🔶「ふつうに」








「普通においしい」の本当の意味


「普通においしい」をわかりやすく翻訳すると、ズバリこうなります。


普段、人に食事を奢ってもらった時、美味しくない場合も気を使っておいしいと言っている。

でも、これはお世辞ではなく、おいしい。

でも、感動して涙が出るほどでもないので、凄くおいしい、という訳ではない。



つまりこれが、「普通においしい」という言葉になるのです。

素直に「おいしい」と感じているのがおわかりいただけますでしょうか。

決して、普通においしい」は『味は普通』『一般的』『無難』という意味ではないのです


森永さんが御馳走した相手の子も、きっとそういう気持ちだったのだろうと思います。


若者でも、相手に対してたくさん気を使うんですよ。

「相手を怒らせないだろうか」「相手に嫌われないだろうか」「相手を傷つけないだろうか」

何も考えていないように見えても、実は考えています。




森永氏はこう主張します。

ご飯をおごってあげた学生に「今日のメシはどうだった?」って聞くと、「普通に美味しかったです」って言うんですよ。イラッときますね。「すごく」とか「とても」じゃなくて「普通」って何だよ、誰のお金で食べてるんだよと。(原文ママ:ライブドアニュースより引用 http://news.livedoor.com/article/detail/14482788/)



そもそも、なぜ「すごくおいしい」と言ってもらいたいんでしょうね?

森永さんがオススメしたイチオシの高級料理店だからでしょうかね?


人には好みというものがあって、数人がおいしいと言っても、その場にいる全員が全員、全く同じように感じるとは限りませんよね。

相手が自分と同じように感じるものだと決めつけていて、それ以外の言葉を言われると、期待を裏切られたように感じ、怒る。それはエゴだと思いませんか。


私は、御馳走する相手が大切な人だと思うのであれば、感想は正直に言ってもらいたいと思います。


母が私に食事を御馳走してくれる時も、全く見返りを求めていないので、私は素直に感想をいいます。肯定的な意見を言っても、否定的な意見を言っても、母は何も気にしていません。



一方で森永氏の「普通においしい」に対する見解はこうでした。

彼らにとって「普通」が肯定的に捉えられているのは、現在の若年層が貧困化しているからでしょう。格差が生じ、いつの間にか「普通」に暮らすことが贅沢という時代に変わってきている。普通はもはや「高級」という意味なわけで、だから「普通」が褒め言葉になっている。(原文ママ:ライブドアニュースより引用 http://news.livedoor.com/article/detail/14482788/)


つまり、今の若者は貧しい時代に生まれ育ったので、「普通」であることは「贅沢」であること。「普通においしい」は「高級を食べられて嬉しい」という意味がある、という考え方ですよね。


私はこの考え方にも違和感を感じます。

確かに私たちはバブルが終わってから育ち、貧しい世代として扱われてきました。


しかし自分たちにとっての「普通」は、"大げさに喜ぶほどいい状態でもなければ、死にそうなほど悪い状態でもないだけ"であって、別に「普通であること」が贅沢だとか、高級であるなどとは感じていません。

そして、「普通においしい」という言葉は、繰り返しになりますが、嘘でもなく、大げさに言うほどでもない、ただ、単純に、素直に「おいしい」と感じているだけなんです。

無理して褒めているわけでなく、おいしく思うからおいしいと言っているだけなんです。



上記の文章から森永氏は、"高級な食べ物はおいしくて当たり前だ"と思っているように読み取れます。


でも実際そうとは限りませんよね。

今の若者は、高級料理も、安いジャンクフードも、おいしいものはおいしいし、いくら高い料理であっても、おいしくないものはおいしくないと知っているのです。




「普通にかわいそうだと思う」の本当の意味


震災に関するYahoo!ニュースのコメントに、「普通にかわいそうだと思う」と書いた人の気持ちも、おそらく似たような感じなのだと思います。

私なりに翻訳してみると、こうなります。



世の中、大して不幸でもないのに、悲劇のヒロインになりきって被害者ずらする人も多い。

でも、この災害で亡くなった方は、そんな大げさな"不幸な人"よりも気の毒だ。

でも、生き地獄のような苦労を散々味わってから、ジワジワと苦しんで亡くなったのではなく、きっとよくわからないまま亡くなっていったのだろうから、その点を考えればまだ苦しむ時間が少なくて良かったのかもしれない。




という意味が込められているのだと思います。


私もこの「普通にかわいそうだと思う」という言葉を見たときは確かに違和感を感じましたし、それと同時にこのコメントはしっかりした人たちに非難されるだろうな、と感じました。


案の定、ヤフコメの返信には、この人に対し「変な日本語使うな」などとかなり責められていました。
(2018.09.08 Yahoo!ニュース朝日新聞デジタルに対するコメントより引用 https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20180908-00000073-asahi-soci )



でも世の中、私も含め自分の気持ちを言葉としてうまく表現することができない人がいっぱいいます。

そういった人たちは、適切な言葉を選ぶことができないだけで実はちゃんと考えはあるのです。


相手の言葉の端を聞いただけで、「この人は最低な人」だとか、「頭が悪い」などと決めつけて非難するのではなく、「この人のこの言葉にはきっとこんな意味があるんだろうな」という想像を働かせ、

もし相手が不適切な言葉を使ってしまっていたのなら、修正し、今後周りの人たちを不快にさせないようにアドバイスしてあげられるような大人になりたいものです。




応用してみましょう-「普通に怖い」


「美味しい」「かわいそう」以外にも、

「普通に」という言葉は、"普通に"常用されています。


では「普通に怖い」という言葉にはどういった意味が込められていると思いますか?上記の翻訳と同じように考えてみましょう。


まず「普通に怖い」という言葉は、現実的な話によく使われます。


たとえばAさんが

😰「昨日家で寝ようとして電気を消したら、近くから女の子の唸り声のようなものが聞こえてきて、なかなか眠れなかった。なんとなく傍に誰かがいる気配が感じたけど、一人暮らしだからいるわけがない。怖くて目が開けられなかった」

という話をしてきたとしましょう。

そういう時に、Bさんは

😨「え!普通に怖いんだけど!」と言います。

ここで使われる「普通」は、怖さのレベルが「一般的」という意味ではないのはわかりますよね。

では、「え!普通に怖いんだけど!」を翻訳してみます。


よくホラー話を聞くけど、そういう話って作り話だったりするから、信用できないし、そんなに怖くない。

でも、その友達の話は本当っぽい。

だけど今すぐ恐怖で腰を抜かすほど怖いってわけでもない。

=「普通に怖い



おわかりいただけましたか。

同じように「普通に楽しい」「普通に悲しい」「普通にかっこいい」「普通に可愛い」「普通に幸せ」などなど、若者は「普通」を使いまくっています。



その言葉は決して「一般的」「無難」という意味ではなく、

大げさに言うほどでもないけどお世辞抜きで〇〇というようなニュアンスで使っているのです。





まとめ

「普通に〇〇」という言葉には、「お世辞抜きで」とか「嘘じゃなく」という意味が込められています。

なぜそうなってしまったかというと、お世辞や嘘をつかないと他人とは良い関係をうまく保っていられない世の中だからだと思います。

素直に本心を言うと、相手を怒らせるかもしれない、傷つけるかもしれないと思い、若者も気を使っています。

だからこそ、お世辞じゃないものを「普通に」と表現するのです。

「お世辞抜きで」という言葉をストレートに使わないのは、普段からお世辞を言ってていることを相手に悟られたくないからだと思います。



逆の発想をすると、「普通に」のつかない、シンプルな「ハイ、おいしいですね」という言葉には、お世辞が込められているのかもしれないですね。




現在、筆者は30代。

若者からみればオバサン(BBA:ババア)になりますが、50歳以上の先輩達から見れば、まだまだ若者(ヤング)です。

だからこそ、両者の気持ちがわかります。


人は相手の性格を、自分が感じた印象通りに決めつける傾向がありますよね。

例えば、初めて会った相手の見た目が"素朴でキレイな色白女性"だと、「きっと家の中もキレイで、片付いていて、日常生活もお洒落で、おしとやかな性格なんだろう」と決めつけてしまします。

でも実際は全然違ったりするのです。

なので、急に予想外の言葉を言われたとしても、すぐに腹を立てるのではなく、勝手なイメージによる偏見を捨てて、「きっとこの言葉には、こんな意味があるのかもしれない」と考えてみると、相手に対して不満を持たずに素敵な関係を築いていけるのかもしれません。